近況

 宅建は無事合格でひと安心で、阪急六甲の居酒屋でひとりでお祝い。まあ毎日飲んでますが笑 最近の生活のリズムの乱れ具合が半端ないです。夜の9時~11時まで寝て、夜通しでピンクフロイドを聴いて、また朝9時~16時くらいまで寝るという…笑 起きたら三宮に家電とか中古CDを見に行ったり…。課題の筋トレ、食活なんて、なーんもやってないわ笑 半年間の実質的な休暇をもらったわけですが、そらこうなります笑 これがひとの常でございますー。でも小説を書かないことが習慣化してるのは、本当にまずい。実存に関わることなので、こればかりは。

 悪癖が予想通りで、バイクの教習、さぼったったー、31歳にしてさぼったったー、3000円の当日キャンセル料取られるー、これが何気に神経にさわってくるー、まあ、こういうことがきっかけで生活のバランスを見直すのが自分の常なので、お金や時間の使い方について考えてみますです。

 2,3時間は寝られたんだけど、3時くらいからは結局一睡もできず、6時開店の銭湯にヴェゼルで。朝も早いうちから、老人だらけ。あの銭湯、いつも客で溢れてるな。阪急六甲の方のとはかなり違うね。

 帰りにコンビニで缶ビールとチーズ、カップうどんを買って、朝酌(←こんな言葉ある?笑)をしています。

 あーすっと寝たいな。すっきり気分よく、どうしたら生きていけるのだろう。心療内科&整体に頼りっぱなしの人生。

深夜眠れず、YouTube…90年代英国ポップス界雑感

 たとえば60年代後半のストーンズのように、政治的アジテーションを掲げ、オーディエンスを煽るのが上手いバンドがロックバンドだというコテコテの60年代的ロック観を持つ筆者からすると、90年代の英国のブリットポップ期において、真面目にロックしていたのはブラーくらいかなあ、なんて鼻くそをほじりながら思う。オアシスはロックンロール風味のただのポップスだし。レディオヘッドは次元が違うだろう。彼らは国粋主義者では明らかにないし、というか英国人という自意識を前面に出した表現活動をしていないので、ブリットポップという概念に含むのはおそらく間違ってるし、なにより芸術集団だから、ロックのカテゴリーに入れてはならん。フロイドやクリムゾンと並べて語られるべき啓蒙バンドだ。当たり前だが、世界が(社会が)クソであることを大前提に、客を煽るのか、啓蒙するのか、共感させるのか、否定するのか、などバンドサイドとオーディエンスとの関係性の数だけロックの定義は存在するが、マッシヴアタックは?ポーティスヘッドは?エラスティカは?スウェードは?とか数多いるバンドたちを今の視点で整理しなおすのは面白いね。みんなヤケクソなのがお祭りが最高になる条件だから、ブリットポップは60年代に負けぬほどの最高の祭りだったと思ってる。ああ、まだ聴ける。楽しめる。

プロって大変そう

 大学時代、サークル関係の飲み会の席で一緒になった奴が数年前に最近メジャーデビューしたらしいので、YouTubeで聴いたのだが、なかなかの高性能なポップミュージックだった。2000年代のストロークス以降に英米問わず先進国で同時多発的に流行ったポップなロックンロールという感じ。

 ところで思うんだけど、「自分たちが作り演奏する音楽」と「日々聴く音楽」というものは一致するものなのだろうか。リスナーとしての自分の音楽遍歴を追って行ったときに、シンプルなエイトビートから現代音楽までかなり趣向が広がったし、変わった。「好きな音楽は?」とかちょっとカルチャー色のあるバーなどに行けばよく交わされる会話だが、そんなもの年齢とともに変わるし、日常レベルでも変わるよな。

 冒頭のそいつも歳が俺(31歳)より2歳下だし、いまだに十代が聴くようなシンプルなエイトビートばかりは聴かないだろうけれど(つまり、そいつがバンドで演奏しているような)、プロとしてやるためには、音楽的なキャッチフレーズがあった方がいいだろうし、それに合わせて作らないかんのだろう。まじで窮屈だと思う。

ブログ

何年か前からツイッターを始めて続けては辞めたりを何度も繰り返してきて、数人の見ている人たちの視線と僕の自意識がしんどくなってきたので、ブログに日記の手段を変えたのだが、誰も見てない感じが気持ちよいね。自由って感じがする。長文書けるし。 

いまさら「火花」

 又吉直樹の「火花」を作品単体で見たら、もちろん完成度は高いが、読んだ後の感想は、「芸人が小説を書いたら、なんでこんな追想型の感傷小説になってしまうんだろう」ということだった。「火花」は宮本輝みたいだったし。ピースのネタはあまり観たことはないが、芸人として売れたということは自分のなかのキチガイじみた部分をポップに昇華してきたということだし、そのキチガイの部分をそのまま小説化する芸人がいたら、それこそが文学だと思うなあ。ただの読み物になっちゃってる。たとえば町田康がバンド時代のことを懐かしい思い出として書くようなことはありえないだろう。混沌としたドグマを小説という手法で表現している。町田康は正しく文学者だ。そういう意味で言えば、賛否両論たくさんあるけれど、松本人志は文学的な感覚で映画を作ってる、と思う。